なぜ教育は難しいのか? ‪:進化教育学が明らかにする失敗の理由

2020年2月2日
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言うまでもなく、子どもを教育するのは難しい事です。

「教育」という言葉自体にアレルギー反応を示す方もいらっしゃるでしょうが、僕は基本的に“Education ”の意味で使っています。

 

  • 教育・・・学習者を望ましい姿に変化させるトップダウン型のアプローチ
  • Education ・・・学習者の内在化された能力や可能性を引き出すボトムアップ型のアプローチ

 

どちらの意味にせよ教育は難しく、完璧にこなせる教育者などいません(我こそはという人は名乗り出てください)。

そこで今回は、「なぜ教育は難しいのか?」について進化論的アプローチで論じていこうと思います。

 

と言うのも、当サイト『Edint(教育のヒント)』は、進化教育学を唱えていまして(詳しくは以下のリンクで)、ヒトに合った自然な教育を提案しているんですよ。

学術書でもあればいいのですが、進化教育学は教育への新しいアプローチなので、広めるにはこのサイトでコツコツと論理基盤を整えていくしかありません…

 

 

では、本題に戻って「なぜ教育は難しいのか?」について進化教育学的に答えを示していこうと思います。

結論から言えば、後付けの能力を詰め込もうとしているから、です。

 

一次的能力と二次的能力

 

進化心理学者のデイビッド・ギアリーは、認知能力(知性)は、一次的能力と二次的能力の2種類に分類できると主張しました(1)。

簡単に違いを説明しますと、

一次的能力

進化の過程(淘汰圧)で身に付いた能力。生得的に備わっており、習得が容易である。

二次的能力

進化の歴史上必要とされていなかった新しい能力。文化によって植え付けられる事になったもの全てを指す。習得が困難。

 

「言語」を例に一次的能力と二次的能力を考えてみましょう。

赤ちゃんはある日突然話し始めますが、これは全世界共通の現象です。よって、「話す」は生得的に備わっている一次的能力と考えられます。

 

しかし、「読む」となると話が変わってきます。文字のない文化では子どもはいつまで経っても文字が読めません。

これは、文字が文化によって後から作られた二次的なものだからです。

進化の過程で備わった能力ではないので、一定の介入(Ex:読み聞かせ)が必要になってきます。

 

教育の困難は一次的能力と二次的能力の違いで説明できるでしょう。

教育とは即ち、文化によって新しく生み出された能力を子どもに習得させる行為と言えます。

よって、習得に時間がかかりますし、人によってモチベーションに差が生まれます。

 

二次的能力仮説の批判

 

デイビッド・ギアリーの主張をまとめると、「教育が難しいのはヒトが慣れていない二次的能力を教えようとするからだ」となります。

しかし、ここに異を唱えたのが2005年の研究(2)。この論文では、早期に読解力を身に付けた子ども達のケーススタディをまとめ、二次的能力仮説に疑問を投げかけました。

研究の内容を簡潔にまとめますと、

 

  • 4歳の時点で文字が読めるようになった子達を観察してみると、IQ・性格・社会的地位と無関係だった
  • なんと、文字の読み方を教えていなくても文章を理解できるようになった

 

二次的能力仮説通りならば、「読む」は文化によって新しく生み出された能力ですから、指導なくして習得する事などあり得ないはずです。

しかし、早期に文字が読めるようになった子達は、外部の手がかりを利用し、自然に読解力を身につけていました。

 

どういう事なのか。もしかして、二次的能力など最初から存在しなかったのでしょうか。

 

ヒトは文化に適応するように進化した

 

この矛盾した問題を解決に導くのが、「ヒトは文化に適応するように進化した」という仮説(3)です。

 

例えば2011年の研究(4)では、12〜16ヶ月の赤ちゃんを対象に、おもちゃを目の前に置いて反応を観察しました。すると、

 

  • 見た事ないおもちゃを見せると、見た事あるおもちゃに比べて約4倍も大人の反応を伺っていた
  • 大人が楽しそうな表情ならおもちゃに手を伸ばし、嫌そうな表情なら躊躇していた

 

つまり、ヒトは他者の反応を読み取り、何を学ぶべきかを判断する能力が生得的に備わっていると考えられます。

これは「社会的参照(学習)」とも呼ばれ、人のみならず多くの動物の中で見られる現象です(5)。

 

4歳の子ども達を観察した研究に話を戻しましょう(2)。

早期に文字が読めるようになった子達の環境を観察してみると、直接的な指導が行われないにしても、兄弟や親が日頃から本を読んでいたりしました。

これは、「ヒトが文化に適応して学習する」という仮説を支持するものです。

 

二次的能力を無理なく身につけるには

 

  • 一次的能力・二次的能力仮説
  • 二次的能力にも関わらず、直接指導なしで習得可能なケース
  • 文化適応仮説

 

これらを踏まえると、

 

二次的能力の習得は文化(環境)に依存するが、直接的な指導なしで習得するのにはタイムリミット(臨界期)がある。

 

と考えるのが妥当ではないでしょうか。

 

ヒトは文化に合わせて行動や考え方を変化させるように進化しています(正に、郷に入れば郷に従う)。

アメリカ留学から帰ってきた人がアメリカ人かぶれになってしまうのも仕方がない事なのです。そうした方が生存にとって有利に働くので適応的と言えるでしょう。

文化が変わればその中で望ましいとされているものに自然と注意が向くのです。

 

しかし、直接的な指導なしで習得するのにはタイムリミットがあると考えるのが普通。

例えば、我々大人が見た事もないアラビア語の文字を見て、1年ちょっとで誰の力も借りずに読めるようになるとは考えられません。

これは脳の神経細胞が完成してしまった故、新しい事柄を習得するが困難になるのです。

一方、幼少期は脳の発達途中なので、習得が容易。

 

実はタイムリミット(臨界期)に関しては、そもそもあるのかすら不明でして、言語に関して言えば、

 

  • 何歳になっても外国語を身につける事は可能だが、年齢を重ねるにつれて習得の難易度は確実に上がる(⑥)

 

ってのが今のところの見解です。だとしても、二次的能力が習得困難な事には変わりないでしょう。

 

まとめ

①ヒトには直接教えなくても自然に身につく一次的能力と、教えられないと身につかない二次的能力が存在する。

教育が難しいのは、ヒトにとって不慣れな二次的能力を教えようとするからである。

 

②取得が困難な二次的能力でも、簡単に身につく(身につけようとする)時期が存在する。だだし、何歳までかは不明。

 

③二次的能力は文化(環境)に依存する。 子どもは周りの環境を注意深く観察し、「何を学ぶべきか?」を判断していると考えられる(このような特性を進化の過程で獲得した)。

よって、効果的な教育とは環境の整備に尽きる。

Ex:楽しそうに本を読む姿を子どもに見せる

 

学校で教わる内容は二次的能力ですから、動機付けが難しいのは当たり前です。

とすると、教育者がすべきなのは、二次的能力を学びたくなる文化(環境)を形成する事に尽きるでしょう。

 

あなたが保護者ならば、読書しなさいと言うのではなく、読書する姿勢を示し、「本を読むのが良い事である」という文化を家庭の中に築くべきです。

また、家庭内で示すのに限界があるものに関しては、望ましい文化の中に子どもを連れていくのが望ましいでしょう。

 

教師であれば、学級経営を通して自然と勉強したくなる文化形成に努めたり、一人一人の子どもに合わせて内発的動機付けを刺激するのが得策かと。

  • Ex:ポケモンが好きな児童に対して、英語版のポケモンを紹介して英語学習のモチベーションを刺激する←ポケモンという文化の中で優位性が得られるので

 

やり方は他にも沢山あると思います(よかったらコメント欄から教えてください)。

そもそも個々人の興味関心は置かれた文化に依存しますので、学校側がそれを無視して「勉強しろ!」と言うのはやや乱暴かと(国からの命なので仕方がないにしても)。

 

 

習得困難な二次的能力を身につけてもらいたければ、

  • それが不可欠な環境に身を置いてもらう
  • 自分の文化(環境)と結びつけてもらう

 

あたりが得策な気がしますね。

現代では文化から要求される二次的能力が年々拡大していく傾向にありますから、いくら習得の容易な時期があるからといっても、流石にキャパオーバーな気がしますが……(選択と集中の時期では?)

まぁ、ここは教育者の腕の見せ所ですね。

 

 

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