なぜ人はゲームにハマってしまうのか?:進化教育学的考察「学習意欲の表れだ」

2020年2月4日

 

2019CESA一般生活者調査報告書~日本ゲームユーザー&非ユーザー調査~』によれば、ゲーム人口は約4735万人。これは約三人に一人がゲームをしているって事になります(人口はこちらを参照しました)。

 

「寝不足や成績低下はゲームのせいだ!」という一般的な思考過程によって、教育界ではゲームが問題として扱われる事がしばしば。

 

しかし、ゲームが生活の一部になりつつある以上、規制など現実的ではありません。現に、香川県が「ゲーム規制」の素案を提出した事が判明すると、SNS上で多数の批判が見られました。

もちろん、ゲーム障害を減らす一つの手段にはなるでしょうが、ここには「なぜゲーム障害になってしまうのか?」の視点が大きく欠けているように思えます。

 

  1. ゲーム障害になる子が増えている
  2. なぜなら、ゲームが広まったからだ

 

一見、もっともらしい理論に思えますが、なんだか浅くありませんか?

根本的な解決を図るのであれば、もっと究極的な要因を見る必要があります。

では、どうすればヒトがゲームにハマってしまう理由を突き止める事ができるのでしょうか。

 

進化のレンズでゲームを分析する

 

当サイト『Edint(教育のヒント)』では、ヒトが進化した過程を紐解き、ヒトに合った自然な教育を考える「進化教育学」を提唱しています。

詳しくは、以下の記事に目を通していただければ幸いです。

 

そこで今回は、「なぜヒトはゲームにハマってしまうのか?」について進化教育学的に考察していきたいと思います。

進化のレンズを通してゲームを見てみると、ここまで広まるのは必然だったと言えるのです。

 

「遊び」の適応的意味

 

言うなればゲームは「遊び」と言えるでしょう(プロゲーマーを除いて)。

よって、ゲームの魅力を明らかにするには、進化の過程で「遊び」がもたらした適応的意味から考えていく必要があります。

 

結論から言えば、「遊び」は学習の一環です。

「子どもの仕事は遊ぶ事」とはよく言ったもので、子どもを観察していると、起きている時はほとんど遊んでいますよね。

 

遊びを進化の観点から論じた2001年の研究(1)では、

  • ヒトは遊びを通して将来の予行演習を行なっている

 

と指摘しており、これは全世界共通の現象なので、進化の過程で獲得したヒトの性質であると考えられます。

簡潔に表すとこうです↓

  1. 文化から求めれる能力を身につけなければ生き残れない
  2. 子どもは「遊び」を通して能力を身につけるように進化した(そうした個体が生き残った)

 

同研究でも、特定の状況下に置かれると自然と遊びたくなる心理的機能が備わっているのだ、と指摘されていました。

 

なにも、「遊び」はヒトだけに見られる現象ではなく、様々な動物の中で確認されています(2)。

自然選択に則れば、なんの意味もない行為が長い年月をかけて・種を超えて受け継がれていくはずはありません。

「遊び」は将来求められる一次的・二次的能力を獲得する学習プロセスだと考えるのが妥当でしょう。

 

一次的能力と二次的能力については以下を参照ください↓

 

「遊び」とは?

 

では、何をもって「遊び」と定義できるのでしょうか?

実はこの問題は捉え所がなさすぎて研究者を長年悩ませてきました。

 

そんな中、参考になりそうなのが進化生物学者のパトリック・ベイトソンの論文(3)。

遊びの普遍的定義を設定するにはいかないにしても、5つの特徴に絞り込んでくれています。

 

  1. 行為自体が目標(遊びの目標は遊ぶ事)
  2. 安全性の確保(心身に深刻なダメージを負わない)
  3. 思考と行動によって表現される予測不可能なもの
  4. 思考や行動はしばしば繰り返される
  5. 楽しく、幸福の指標

 

一見意味がないように見えて、実は特定の思考や行動パターンが繰り返されており(学習)、それ自体が楽しいものが「遊び」なんだ、と。

 

では、遊びの特徴を踏まえた上で、ここからはゲームと結びつけていきます。

ゲームは狩猟採取社会で行われていた「空想遊び」に該当するんです。

 

空想遊びの適応的意味

 

空想は子ども時代に多く見られる遊びの一つ(4)。

ヒーローになりきったり、おままごとしたり、「もし〜だったら」と想像し、その世界の中でなりきるのは子どもにとって自然なこと。

 

空想遊びは、将来起こりうるであろう出来事に上手く対処する為のシミュレーションなんです。

空想が学習に繋がるなんてのはにわかに信じられませんが、ここにも確たる証拠があります。

例えば2014年の研究(5)では、

 

  • 空想の中での体験は、現実世界と酷似している

 

彼女/彼氏と初デートの約束を取り付けた際、当日までシミュレーションをした経験ありませんか?(少なくとも僕はやってました)。

シミュレーション中の脳の状態を見てみると、実際に彼女/彼氏と直接話しているのと同じ状態なんです。

 

もう少し細かく言えば、ヒトは空想と現実とを区別する脳の機能を有していません。

この性質により、「VRって学習効果が高いのでは?」とささやかれています。

 

おそらく、狩猟採取時代の子ども達は、周りの大人を見て、狩りごっこをしていたはず。安全に学習する為にも、空想と現実とを区別しない方が進化の上で有利に働いたのでしょう。

 

ですから、ヒトは空想せずにはいられないのです。

 

ゲームにハマってしまう理由

 

ここまで取り上げたヒトの性質をおさらいしておきましょう。

 

  • ヒト(特に子ども)には、遊びを通して学習する性質が備わっている
  • 遊びはそれ自体が楽しく、安全であるのが条件
  • 空想体験は現実体験と似ている

 

感の鋭い方なら、ヒトがゲームにハマってしまう理由がもう掴めたかもしれません。

 

ゲームには、「遊び」の性質がほとんど含まれています。

Re:遊びの条件(3)

  1. 行為自体が目標(遊びの目標は遊ぶ事)
  2. 安全性の確保(心身に深刻なダメージを負わない)
  3. 思考と行動によって表現される予測不可能性
  4. 思考や行動はしばしば繰り返させる
  5. 楽しく、幸福の指標

 

ついついお菓子を食べてしまうように、我々は能力を身につけて生存率を高めたいという欲求の基、無意識にゲーム(空想の世界へ)に惹きつけられてしまうのです。

言い換えれば、ゲームは学習意欲の表れとも言えるでしょう。

 

こう考えると、ゲームが悪いとは思えなくなってきませんか?

 

なら、ゲームで能力は身につくのか?

 

格闘ゲームを極めれば自然と喧嘩に強くなるはずがありませんし。

ゲームをしてしまう理由が将来の為だったとしても、能力が身についていないと意味がないわけでして。

 

ここからは僕の仮説ですが、「遊び」を「学習」に結びつけるのには3段階の思考プロセスがあるんだと思います。

わかりやすくする為に、「運転」を例にして図を作ってみました↓

レースゲームをいくらプレイしようともレーサーにならない限りそのスキルは無駄になってしまいますが、抽象的に見ればそれは「運転能力」と言えるため、適応的な学習の一つと言えるでしょう。

 

まぁ、現代では文化から求められる能力が高度かつ複雑化しているので、遊びが直接的な能力の習得に繋がらないのだと思います。

 

思い返してみれば、僕が車のゲームを一切しなかったのは、親や友達に車好きな人がいなかったかなのかも知れません。幼いなりに、運転テクニックは習得しなくてもいいものなのだ、と結論付けていたのかも…(笑)

 

まとめ

①ゲームは、解像度の高い空想遊びである。生存欲求がある限り、ヒトはゲームに反応せざるを得ない。

 

②ヒトは遊びながら将来起こりうるであろう出来事に備えてきた。だからこそ、遊びはやめられないし、禁止すべきではない。

 

③ゲームをプレイする事は、適応的反応だと考えられる。

 

「遊び」を通して学習する性質が備わっている以上、ゲームにはハマってしまいますね。

 

ただし、これだけでゲームにハマる理由を全てカバーできたとは言えませんので、一つの見方として頭の片隅にでも置いといていただければ、と。

 

軽く触れておくとゲームには、

  • 適度に達成できる難易度にしてドーパンを過剰に分泌させたり
  • キャラクターをイケメン/美女にして生物学的な他の欲求を刺激したり

 

するなど、その他の要因も考えられます。また、ゲーム障害に関して言えば、

 

  • ゲーム障害に陥る人達はリアルの世界で何らかの問題を抱えている(特に人間関係)

 

って事が言われていまして(6)。

彼らは現実世界での欲求不満を仮想空間の中で満たそうとしていて、「長時間ゲームをプレイする→ゲーム障害になる!」とは言えなさそうなんですよ。

 

生活に支障がきたすレベルまでのめり込んでしまう子には別の問題があるので、どう考えてもゲームを規制したところでゲーム障害が解決するとは思えないんですよね(ゲーム障害の絶対数は減っても、抱えている問題が解決される訳ではない)。

 

この記事から得られる教訓と言えば、

  • 勉強をゲーム化する
  • 子どもがハマっているゲームから、やりたい事を推測する

 

個人的には「遊びの目標は遊ぶこと」ってところが学びの遊び化を実現するヒントかなぁ、と思ったりしてます。

身につけようと思って学ぶのではなく、活動してたら自然と身についていた、が理想かと。外国語の指導で採用される、「タスク中心教授法」に近い気がします。

何かしら遊びを考えたかったら、上記で紹介した3段階の思考プロセスを参考にしてみてください。

 

まぁ、言うのは簡単で、いざ実行に移すとなると難しいのですが…子どもと関わるなら、「遊びが学びの基礎だ」って事は忘れないようにしたいところですね。

 

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当ブログの運営者:エイジ

年間3600本以上の学術論文に目を通す20代男性の教育関係者。エビデンスのある教育を広めるべく、ブログ・ Twitterなどで最新の教育情報を発信中。 Twitterをフォローして頂けると幸いです。下のアイコンからTwitterのページに飛べます。


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