【対談企画】進化教育学は学習に何をもたらすのか vol.1苦手意識を減らす自然な教え方

2020年5月6日

 

当サイト『Edint(教育のヒント)』では進化教育学の知見を中心にお届けしていますが、より一層知ってもらう為に「対談記事」を作成するに至りました。

記念すべき最初のゲストは塾講師として活躍されている、ねこみんさん(@nekomin_rika )です。

進化教育学の理論と実践の融合を目指して、授業経験が豊富な方と即興で語り合った記録をお届けします。

 

アンチ・ティーチングという哲学:どこまで教えるべきか

 

エイジ:

対談にあたって、ねこみんさんには事前に質問を考えてもらって頂きました。最初の質問をお願いします。

 

ねこみん:

はい。最初の質問は、エイジさんの普段のツイートやブログだったりを見させて頂いている中で、教えること自体が不自然、どちらかと言うと教えることに対して否定的な見解をお持ちのようにお見受けします。

すごく分かるなぁ、と思う反面、現在我々が学ぶべき知識というものは狩猟採集社会の頃と比べて広大になっているのも事実です。

 

私は今、『ダンネマン大自然科学史』という本を読んでいるのですが、科学的な知識というのが凄く膨大な知識の集積であることを自覚させられます。 膨大な知識が自然に学べるというのは理想的なのでしょうが、 実際問題、その全てを自然に学ぶのは難しいように思えます。

この点についてエイジさんはどのようにお考えなのでしょうか?

 

エイジ:

狩猟採取社会で必要だった知識やスキルと現代社会で求められているものとは共通する所も多々ありますが、大きく異なっているのも事実です。学ぶべき知識量は指数関数的に増加し、学習期間の延長傾向を見ても明らかかと。

そこで、狩猟採取時代の学習が現代社会にどこまで適用できるのかを探っていくのが進化教育学の課題になります。

 

 

私がアンチ・ティーチングとツイートしたように、狩猟採取社会では明示的な指導は稀です(1,2) 。基本的に子どもは大人の行動を見て学んでおり、どの部族でも広く確認されている事から、教えず見て学ばせるのが教育(学習)の起源だろうと推測されます。

そうなると、“教わる”事に慣れていないのだろうと。1から10まで口出しする親を「ヘリコプターペアレント」と呼びますが、このような親の元で育った子は学力や社会的能力が低く、教える事がマイナスに働いているようです(3)。

 

ねこみん:

それは感じます。私は塾講師として働いていまして、個別授業と集団授業もやっています。その中で、個別指導を受けに来る子は私立に通う子が多く、そのような子は裕福なご家庭で、保護者の教養レベルが高い。

よって、親御さんが先に動いてしまう傾向があります。例えば、成績の管理が厳しかったりするのですが、手をかけた割には知識が身についていないケースも多々あります。

教えててすごく感じるのは、そのような子は「教えてもらうのを待っている」という事です。もちろん公式等は教えますが、他の知識と結びつける能力が低いように思えます。

 

エイジ:

どこまで教えてどこからは教えないのかの線引きをする際に、進化教育学では能力を一次的能力と二次的能力に分類します。

一次的能力とは、進化の過程で必要不可欠だった能力です。例えば、話す能力や立って歩く能力、これらは特定の障害がない限り、誰でも身につける事ができますよね。本能と呼べるかもしれません。

一方で、二次的能力とは文化によって生み出された新しい能力を指し、学校のお勉強や学問等がこちらに分類されます。

 

※詳しくはこちらの記事をご覧ください↓

 

アンチ・ティーチングが特に有効に働くのは、一次的能力の領域になります。一次的能力の習得は遺伝子に刻み込まれていますので、わざわざ教える必要がないですし、カリキュラムに組み込むべきではありません。

というよりも、教えられません。一次的能力はいわゆる計画力や問題解決能力といった、非認知能力とも言い換え可能ですが、これらは自然に身につくものですし、わざわざ教えてもさほど効果はありませんね。

 

強いて言えば、一次的能力が身につく環境を設定する事です。言語学習で言えば、海外に身を置くのが一番で、発現のスイッチを押すのは環境なんです。

 

ねこみん:

なるほど。お話の中で一つ気になった事があって、非認知能力の中に計画力というものがあるとおっしゃいましたよね。

もちろん、計画力を教えるのは難しいと感じていますが、自然に身につくとも思えません。例えば、テスト計画を立てて実行できる子とそうでない子は明確に分かれています。

 

エイジ:

どんなにダラけている子でも、逆算して行動を決定する計画力というのは身についています。むしろ、手帳やカレンダーを活用して計画を立てる事は二次的能力になりますね。

狩猟採取社会では1ヵ月先の事を計画して行動してはいませんでしたし、遠い未来を予想して実行に移すには、明示的な指導が必要かと。それでもなお先延ばししたり行動できないのは、計画力云々ではなく動機付けの問題でしょう。

 

ここまでの話を一旦まとめると、一次的能力は自然に学習されるので教えるべきではなく、二次的能力は新しい知識なので自動的な学習は見込めません。よって、教育(指導)が必要になります。

ただ、二次的能力は一次的能力を土台にしているので、一定レベルではアンチ・ティーチングでも成功します。

 

ねこみん:

一次的能力が土台となっている例とはどのようなものがあるのでしょうか?

 

エイジ:

言語ですと、聞いて話す能力は一次的能力に分類され、読み書きは二次的能力と言えます。読み聞かせが将来の読解力を高めているのも(4)、一次的能力を土台とした二次的能力の学習だからです。

つまり、読み聞かせによって大量の言語に触れていればスムーズに読書へ移行できる、ということですね。

 

それで言うと、モラルは一次的能力ですから、個人的に、道徳の授業には期待していません(笑)

無意味ではないにしても、コスト(時間)に見合ったリターン(モラルのある子が育つ)は見込めないでしょう。

 

ねこみん:

大人が気をつけましょう、という事ですね(笑)

ここまでのやり取りであったように、二次的能力は「教える」という介入が必要になるのでしょう。そこで二つ目の質問として、進化教育学は二次的能力をどのように教えていくのが望ましいと考えているのでしょうか?

 

認知の起源から学習を理解する

 

エイジ:

まず、勉強するとなった時に考えなければならないのが、見たり聞いたりした事を脳で処理し、理解する認知機能

認知機能の起源や制度設計への理解は、効果的指導(学習)を導き出すのに欠かせない視点です。

認知機能は進化のプロセスと非常に類似しており、おそらく進化的起源があると推察されます(5,6)。

 

そこでキーになるのが“認知負荷理論”と呼ばれる概念です(7)。

Twitterのような口頭文章は比較的容易に処理できますが、学術書はそのようにはいきません。なぜなのかというと、認知的な負荷がかかり過ぎて脳のキャパシティがオーバーしてしまうからです。

「勉強が退屈だ」と感じるのは、処理すべき情報量が多すぎてオーバーヒートしているからなんですね。

 

で、二次的能力は新しい知識なので学習するのにどうしても認知的負荷がかかってしまいます。

授業の例で言えば、40分間喋り倒す授業よりも、10分毎に区切って確認させ、認知的負荷を減らした方が身につくんです。

 

ねこみん:

私は塾講師ですけど、定期的に実験を見せたりしているんですよ。そうすると、子ども達の集中力が段違いです。エイジさんは10分区切りの確認とおっしゃいましたが、私の場合はそれが実験にあたるのかな、と。

 

エイジ:

そうですね。実験(ビジュアル)で示すと想像するのに割く認知的リソースを削減できますから、効果的だと考えられます。

 

ねこみん:

エイジさんは喋り倒す授業は認知的負荷がかかるともおっしゃいましたが、私は時々喋り倒す授業もします。長い話なんて覚えていないだろうと思っていたのですが、割と子ども達は覚えていたりするんですよ。これはなぜなのでしょう?

 

エイジ:

この質問に答える前に、認知的負荷が減る基本的な原理を解説させてください。

大前提として、負荷を減らしてスムーズに理解するには記憶しなければなりません。暗記教育は批判の的ですが、学習の基礎は確実に記憶です。

 

DNAに膨大な情報が保存されているが故に、生物は複雑な環境を生き抜く事ができるようになりました。認知機能で言えば、複雑な課題を解決するには知識を脳に保存しておかなければならないのです。

例えば、プロとアマチュアの違いは記憶量の差で説明できます。

プロ棋士は無数の盤面が頭の中に記憶されているからこそ、認知的リソースを思考力に割く事ができ、瞬時に最善の一手を導き出せるんですね。それに対してアマチュアは記憶量(経験)が少ないので考えるのに時間がかかってしまいます(8)。

 

土台となる知識の記憶量が少なければ、教師に喋り倒されると処理すべき情報量が増え続け、最後まで聴くことができません。

ねこみんさんの語る授業が成功していたのも、生徒がすでに土台となる知識を持っていたからなのかもしれませんね。

 

ねこみん:

なるほどぉ。たしかに、語る授業をする前にそれに関する授業をやっていていました。もしかしたら、この順序がよかったのかもしれません。

 

エイジ:

今に始まった話ではありませんが、アクティブ・ラーニングの流れを受け、教師は児童生徒に発言を促す傾向にあります。

中には発言しない子がいて、教師は「〇〇さんはどう思う?」と声かけをしますよね。

一見「この子はシャイな性格だ」と結論づけてしまいがちですが、私は土台となる記憶量が少なく、思考力に脳のリソースを割けていないからだと考えています。

認知機能に関する知見は教育学部で十分に教えられませんから、教師の間で見落とされているんですよね。

 

認知的負荷を減らすには記憶量を増やす、つまり長期記憶化する必要があるのですが、そうなると、次なる課題は、どのようにして情報を長期記憶に移すかになりますね。

 

進化も脳も新しい情報の侵入を制限している

 

ねこみん:

私はよく、生徒に「頭の中に入れようと思ったら、一旦忘れる事も必要だよ」と声かけしています。

エイジさんのおっしゃるように、長期記憶にならなければ使える知識になりませよね。でも、人間というのは忘れてしまう生き物ですから、もう一度学習し直すと脳が「忘れたらダメな情報だ」と認識するようになり、覚えられるのかな、と。要は復習が大事という話です。

 

エイジ:

全て覚えず忘れてしまうのは、進化上有利に働いたからです。しかし、一定の新しい情報がなければ進化は促されません。

となると、進化のシステムないし認知の制度は新しい情報の入り口を狭く設計するはずです。

 

進化の基本原則は自然選択。つまり、生存と生殖に有利に働いた機能は残り、不利なものは消去するというもので、この地道な繰り返しが進化のプロセスなんですね。ただし、これだけでは進化の全ては説明できません。突然変異という変化があって急激に進歩します。

では、突然変異を高頻度で繰り返せばいいのかと言えばそうでもなく、むしろコストが上回ってしまいます。

突然変異によって全く新しい個体が生まれたとしても、その中で環境に適応して生き残れるのはごく一部です。新しすぎるものを沢山生み出すと出産コストに対するリターン(子孫の存続)は見込めません。

よって、遺伝子はエネルギーの無駄遣いを減らす為に、突然変異率を制限しています(9)。

 

認知機能に話を戻すと、私たちは新しい情報を全て忘れないのが良い事だと思ってしまいますが、それは適応上不利に働きます。

全ての知識が使えるわけではありませんし、情報量が多いほど判断スピードは落ちます。悩んでいるうちにサーベルタイガーに襲われてしまいますからね。

 

遺伝子が突然変異率を調整しているように、認知機能も新しい情報が大量に入ってきても忘れてしまうように進化の過程でデザインされたんです。

教える方は真新しい情報を沢山与えれば楽しんでもらえるだろうと考えがちですが、認知的負荷の面からして、有効とは言えません。

 

ねこみん:

すごくよくわかります。例えば新しく一次関数の範囲に入ったとして、いきなり一次関数の話はしません。まず、既に習った比例の話から始め、想起させつつ、相違点に着目させたりしながら授業を進めます。

私は生徒が持っている知識とのつながりを意識していますね。これがエイジさんのおっしゃる認知的負荷のかからない教え方にあたるのでしょう。

 

エイジ:

授業とは新しい知識を学ぶ時間ですが、学習を成功させるには新しい情報を教えすぎてはいけない。一時間でどこまで理解できるかは、子ども達の知識基盤(長期記憶の量)に依存します。

一斉授業の落とし穴はここでしょう。学習の面で言えば、どうしても個別指導の壁は越えられません。

 

ねこみん:

一人一人の学習を考えるとそうだと思うのですが、個別指導では実現できない事があるんですよ。

例えば、生徒間の“気づき”は個別指導ではなかなか促されません。一斉授業だと生徒によって着眼点が違うので、教えている側からしても驚く意見が沢山でます。

授業を立体的にするという面では、一斉授業の利点を感じています。

 

エイジ:

勉強って落とし穴を知るような活動だと思っていて、知識があれば落とし穴を回避しながら進めるようになります。ただ、知らなくても運良く回避できる場合もある。

教え手からすると、ありふれたアウトプットよりも、授業が盛り上がる奇抜な意見を引き出したいはずですよね。

そうした際、最初に基礎的知識を教えてから発言を促すのか、それとも発言を促してからインプットに移行するのか、ねこみんさんの経験上どちらが有効だと考えていますか?

 

ねこみん:

私は前者ですね。ある程度の知識があった上での議論の方が生産的になります。

インプット段階では認知負荷理論の通り、個別に対応するのが望ましいのでしょうが、現実問題として、学校としても限られた時間内に生徒全員に等しくインプットさせなければならないですから、制度上これは難しい。

 

そこで私は、数学でいえば公式にあたる「これだけは獲得してほいしい」という知識を最初の導入とつなげて示し、公式が授業内で繰り返し出てくるように授業をデザインするよう心がけています。

そうすると、覚えなければならい情報を記憶に残せるのかな、と。一斉授業の中だと有効なやり方な気がしています。

 

質の高いアウトプットを促す鍵はランダム性

 

エイジ:

しかし、インプットだけに時間を割くのも望ましくありませんよね。アウトプットを設けて思考力が高まるようにしなければなりません。そこで、どのようにアウトプットを促すのか、というのが次なる課題になります。

進化の観点からすると、新しい知見はランダム性によってもたらされます。

ハウツーでも概念でも、新しいものは既存の知識のランダムな組み合わせの結果です。とは言っても、パターンは無限にありますので、制限を設けなければ有効な知見が生み出される可能性が低くなってしまうのも事実です。

 

ねこみん:

好き勝手議論させると秩序がなくなってしまいますもんね(笑)

 

エイジ:

制限しすぎてしまうと模範解答しか出てきませんから、ありふれた答えにならず、無秩序にもならないランダム性をいかに設けるかが、アウトプットを促す際に教育者が気をつけなければならないところかと。

 

ねこみん:

私が生徒によくやる投げかけ方がありまして。例えば、「電力」という概念を学習した後に、「君達の後輩に説明するとしたらどうする?」と、具体的な状況を設定させて発言を促したりするんですよ。

そうすると、多様な説明(アウトプット)が出てくる傾向にあります。子ども達も熱中して取り組んでますね。

最近は体積の授業をしたんですけど、説明を通して理解が深まる、進化教育学の「グループ学習」で書かれていた再インプットにも繋がるのかな、と。

 

エイジ:

状況設定はある種のランダム性をもたらしますね。

聞いてて一つ思いついたんですが、小論文の問題に「この単語を用いて論じなさい」ってやつありますよね。あれ、アウトプットの質を高めるのに有効だと思うんですよ。

体積の話で言えば、一見関係なさそうな「犬」という単語を用いて説明させたりすると面白いアウトプットが期待できます。犬小屋の体積とか、結びつけようと思えばできるでしょうし(笑)

 

ねこみん:

それは面白そう(笑)

 

エイジ:

もっと言うと、生徒一人一人に異なる単語を配って、ある子は「犬」という言葉を使って体積の説明を、ある子は「iPad」を使って説明を……としておくと、制限(体積の説明)とランダム性(用いる単語が違う)のバランスが取れてありふれたアウトプットになりませんし、なおかつ多種多様な角度から説明を聞く事になるので理解が深まりそうです。

 

まとめ

①教育者が教えるべきなのは二次的能力。

 

②教育の成功はいかに認知的負荷をかけずに伝達していくかである。負荷を減らすには記憶量を増やすか、既に知っている内容と結び付けて提示すること。

 

③生産的かつ活発なアウトプット(発言・議論)を促したいのであれば、一定の制限とランダム性を意識しよう。

 

 

ここまでが対談の前半部分です。後半は、もう少し踏み踏み込み、理論と実践から導き出された理想的な授業デザインへと話を展開していきます。

進化教育学は学習の足を引っ張っているのが目標(めあて)だと主張する、その理由とは?

 

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年間3600本以上の学術論文に目を通す20代男性の教育関係者。エビデンスのある教育を広めるべく、ブログ・ Twitterなどで最新の教育情報を発信中。 Twitterをフォローして頂けると幸いです。下のアイコンからTwitterのページに飛べます。


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